Birthday


 その日。月鏡の城は、例年慌ただしく、朝からことが運ばれる。
 月鏡老が代替わりした暁に簡略化する手もあったのだが、
「一気に簡略化するのは、鏡団や聖下を軽んじる思考や行為に繋がりかねません。形式的なものだとしても、他国への体裁もありますし」
 という月鏡老主席・李陵の意もあり、変更事項は適度に抑えられることとなった。
 加えて今年は、鏡団にとって長年の天敵だった『ヴァンパイア』一族と、和解が成立した後の、初めての祭典だ。
「アリスの祝いに、顔を出さないわけが無いだろう」
 ヴァンパイアの始祖である黒耀と、その一族の出席が確実なことから、例年よりささやかな形態に改められはしたものの、外向きの行事はそのまま遂行されることになった。

 三月十五日。
 現鏡皇、アリス=シルヴェリアの誕生日。
 『鏡皇聖誕祭』である。

 城下では花火が打ち上げられ、官庁や学校は祭日休日。サービス系以外の仕事はほぼ自主休業、メインストリートには露店が立ち並び、国中の民が集い溢れる一日。
 そんな中城内では、月鏡老を筆頭に、各地の明鏡主官や双鳴鏡、鏡伝師が参列して、鏡団としての祝賀の儀が行われる。
 月鏡老主席の李陵や明鏡主官長を兼任するセ・ラティス、鏡伝師代表のキルヒらが、鏡皇アリスへ誕生祝の口上を述べるというものだが、鏡団内部の儀式という事情も手伝って、祝賀口上を述べる者は昨年の半分以下に抑えられ、最も簡略化が進んだ。事前にそれを知った、末席で話を立ち聞くだけの関係者は、内心大喜びしたらしい。
「普段お世話になっている人にも、列席して貰いたいんだ。拘束時間が長いのは困るだろうから、口上は必要最低限でいい」
 そんなアリスの気持ちを汲んで、花鏡など、一部の使用人に鏡団認定の魔狩人までもが参列者に加わったため、参列者数は増大することになったが。
 その後、午前と午後に、一度ずつ。一般参賀に応えるべく、アリスは城のバルコニーに立つ。
 先年代替わりしたばかりの鏡皇の姿を、間近に見られる数少ない機会。しかも新鏡皇は、庶民出身のまだ十代の少年とあって、新年祝賀の儀に続いて、城の庭は例年以上の賑わいに包まれた。
 纏っている鏡皇正装こそ重厚だが、気取りのない祝いへの返礼の言葉とアリスの素直な笑顔は、民が好印象を抱くには充分で。
「普段着で、城下ですれ違っていても、絶対同一人物とは思えないにゃ」
「ま、ええやん。それがそのまま、アリスの身の安全に繋がっとる」
 それでも念のため、不心得者が居ないかと参賀者の列に視線を滑らせるラ・ファエルと九龍は、会話の中で笑みを交わした。
 そして夜は、晩餐会。鏡団関係者以外にも近隣諸国からの来賓や国内の有力者、更には、今年は、ヴァンパイア一族も加わって。アリスの、誕生祝の宴が催される。
 立食スタイルを取ったことが幸いし、多少の堅苦しさはあるものの、式次第は和やかに進んだ。これまでを思うと年若い御令嬢の出席が目立つのは、適齢の娘を持つ国内の有力者が、あわよくば娘を鏡皇の妃に……と、同伴した結果だろう。
 施設出身のアリスには、強硬な後ろ盾が存在しない弱みはあるが、それが逆に、有力な一派に政務を掻き回される心配が無いという強みにもなっている。つまりは、皇妃になるチャンスは、誰にでも平等───ということだ。
 が、今日は。アリスの傍には常に、『神々をも魅了する』と言われる美貌を誇る、『夜の月』を体現したようなヴァンパイアの始祖・黒耀が居る。そしてその周囲には、並の人間の男なら、競う前から勝負を諦めるだけの魅力を備えた、ヴァンパイアの男性陣。
 その中で存在の霞まないアリスも大したものだが、そんな輝きを目の前にして、迂闊なことを口にしようとする招待客は皆無だった。その反動か、現在鏡団内で実権を握ると思われ、独身で見目も良い李陵やセ・ラティスが、女性客に囲まれている。
 そんな人の輪を器用に避けたラ・ファエルと九龍は、目立たないテーブルのひとつに陣取り、喧騒と自分達は無関係…という風情で、それぞれご馳走を突付いていた。最初の乾杯時は黒耀の傍に居たファウストも、血筋から来る避けられない煩わしさを嫌ってか、いつの間にか会場から姿を消している。その辺りは、さすがに抜け目が無い。
「ま、結果オーライ?」
 シャンパングラスを口に運びながらラ・ファエルがそう言うと、
「そやな。結婚話なんざ、アリスにはまだまだ早ェモン」
 飲み干したグラスを、テーブルに戻した九龍が応じる。
「黒耀陛下は単純に、聖下を祝福したかっただけだろうけど。それに虫除け効果があるとはね」
「虫除けって……ひでぇ例え」
「んじゃ、蝶々除け」
 悪びれないラ・ファエルの口調に、九龍はぷっと吹き出した。
「黒耀、アリスにプロポーズしてるやん」
「本音だとしても、あれはまだ冗談半分の範疇でショ。どう見ても、婚約者って言うより…母子って方が、現状しっくり来る」
「………確かになぁ」
 この先、どうなるか分からないとしても。そんな思いを胸に秘めて、二人はアリスと黒耀を見遣る。
 疲れを押し隠して招待客と言葉を交わしているアリスを、人前で、『鏡皇』を立てるような『演技』を楽しんでいる黒耀が、何気ない仕草でフォローしている。が、それもそろそろ終盤だ。
「黒耀達、今夜は泊まるん?」
「陛下も殿下も、月鏡の城は肩が凝りそうだから、漆黒の城に帰るって言ってたけど」

 月鏡の城への長逗留は、城に染み込んだ太陽と聖者の光は、ヴァンパイアには苦痛になる───と。
「肩凝るって言われても、否定できないもんなぁ。今日のお礼も兼ねて、今度は俺が漆黒の城に遊びに行くよ」
 教団関係者は知らないそれを風哭から聞き及んでいるアリスは、特に突っ込むこともせず、そう言っていた。そんなアリスを、ラ・ファエルは微笑ましく思い返す。

「そ・か。んじゃ、ラーからみんなによろしく伝えといてぇな。俺そろそろ行くわ」
「え?もうそんな時間?」
 会場外へ歩先を向ける九龍に、ラ・ファエルは目を丸くする。
「あんま遅ぉなると、場所貸してくれた料理長に悪いやろ。直接挨拶すンにも、あんなやし」
 近寄りがたい中にも、人を寄せ付ける華やかな光。その光に、纏わりつくひとびと。アリスと黒耀達に目線を向けて苦笑いを見せる九龍に、ラ・ファエルは頷いてみせる。
「明日は、多少お寝坊さんしてもOKなように出向くから、ゆっくりするといいにょ」
「分かった。サンキュ、ラー」
現氷鏡卿ラ・ファエルの配慮に、九龍は片手を挙げて礼を示すと、静かに会場を出て行った。

 晩餐料理の給仕が済んだ厨房では、使用済みの、山のような食器の類を洗う音だけが響いている。そんな中、個室に引き上げた宿泊客の要望を受けた花鏡が、飲み物や果物を用意しては客間に運んでいる。
 その一角、調理スペースの片隅で。
 九龍は、アリスとの約束を果たすために、小麦粉や卵と格闘していた。

 三月十五日と、九月十日。
 お互いの誕生日に、ホットケーキを作り合ってお祝いすること。
 実際作っているのはほとんど九龍だったが、自由になるものごとが少ない空間で、施設の大人も、誕生日くらいは……と見逃してくれていた、施設に居た頃からの、九龍とアリスの約束ごとだ。

 去年は、晩餐会が終わった頃合いを見計らって、自宅で作った冷え切ったそれを、こっそりとアリスの部屋に届けに来た。だが、今年は。
 そんな二人のささやかなお約束を知っている李陵とラ・ファエルが、
「聖下の、息抜きの時間と思えば良いでしょう」
「せっかくだもん、あったかい焼きたてを届けてあげなよ。ね?」
 そう言って料理長に話を通し、城内の厨房を使えるように手配してくれたのだ。
「この一角は、好きに使ってくださって構いません。聖下に、お疲れ様でしたとお伝えください」
 九龍への場所提供を快く承知してくれた料理長は、そう言って笑顔を見せると、明日の朝食準備に備えて早々にその場を辞した。
 混ぜこねた生地を、何枚も何枚も同じ大きさに焼き上げながら、九龍はふと思う。
『鏡皇聖誕祭』は、新教皇が誕生すれば、当然その誕生日に自然と移行する。その時、前鏡皇の誕生日は何かしらの記念日に名称変更されるのが常で、『セント・スイーツ・シルヴェリア』…略称『スイシル』の発案者である第六代鏡皇ヘルゥ=シルヴェリアの場合、正式名称はほとんど忘れ去られ、『お菓子の日』が通称となっている。
 ───と、なると。はるかな未来、アリスの誕生日はどういう名称になるのだろうか、と。
「………食いモンの日?」
 苦笑いを零しながら、フライパンの中身をひっくり返そうとしている九龍の背後から、
「何だその珍妙な名称は」
 と、妙に冷めた声がかけられた。
「へ?」
 聞き覚えのある声音に背後を振り向くと、其処には
「狼哭!風哭!何でココに」
 何やら柔らかそうな、大きな包みを抱えた狼哭と、小さな紙袋を手にした風哭が、並んで立っていて。
 思わぬ場所へのヴァンパイア一族の登場に、皿洗いに精を出していた使用人達から、驚きの声が溢れている。それらを気にすることもなく、狼哭と風哭は、それぞれ手にしていた包みを調理台の上に置く。
「花咲神父に聞いたんだ。大切な時間の邪魔をする気はないけど、便乗して、アリスに差し入れを届けて貰うくらいは、いいだろう?」
 冷静な表情の中に穏やかな笑みを浮かべて、手袋を外しながら風哭が言う。そんな風哭に頷きながら笑みを返し、九龍は焼き上がったホットケーキを皿に移す。
「晩餐会と言っても、アリス本人はさほど飲み食いしていねぇ。差し入れが増える分には、大歓迎だろ」
 そんなことを呟きながら、狼哭は包みを開いている。何を持って来たのかと九龍は思っていたが、中身は二斤の食パンで。
「九龍。包丁貸して貰えるかな」
「ほい」
 腕まくりをし、手を洗った風哭がそれを受け取る。使用人達のざわめく声がもれ聞こえる中、外野を一切気にすることもなく、風哭はパンに切り込みを入れ始めた。その横で狼哭は、持参した瓶の蓋を開けようとしている。
 漆黒の城での二人を見慣れている九龍には、それは特異なものではなかったが、月鏡の城の使用人達にとっては。厨房で料理をするヴァンパイアなど、茫然自失なシロモノだろう。
(ま、ンなこと、気にする輩でもあらへんし。食いモンが増える分には、確かにアリスも喜ぶわな)
 そう思いながら、九龍は作業を再開する。
「黒耀と、影哭は?」
「姉さん?諦めの悪い虫が帰るまで、アリスの傍に居るって」
 風哭の台詞に先程のラ・ファエルの物言いが重なり、心の中、九龍は小さく笑う。
「手伝わせろとしつこかったんで、最後の仕上げの頃には来る」
 一方、相変わらず抑揚の無い狼哭の言葉に、九龍は、フライパンに向けていた視線を狼哭に振った。
「しつこかった、て……黒耀が?」 
「この間の、『スイーツ・シルヴェリア』のアリスへの贈り物には、姉さんの手は加わっていないんだ。だからどうしても、今回は関わりたいらしくて」
「たく…、妙なトコでガキくせぇ」
 風哭はもちろん、冷徹な雰囲気を滲ませた狼哭の口調にも、黒耀への情愛が感じられる。その様子に頬を緩ませ口角を持ち上げながら、九龍は次の一枚を焼き上げた。

 晩餐会が終わりを告げ、先程までの喧騒が、嘘のように静けさを増した城内。
 鏡皇としての勤めを終えて、私室に戻って湯浴みと水分補給を済ませたアリスの耳に、コッ・コッ・コッ……と。短いスタッカートを刻むような、ドアを叩く音が聴こえた。いや、叩くというより、爪先でドアを軽く蹴っているような音が。
「……九龍?」
 小声で来訪者と思われる相手の名前を呼ぶと、
「そ。アリスぅ、ドア開けてくれへん?両手塞がっとるんよ」
 軽い中にも困り果てた色彩の、九龍の声が響いた。
「あ、うん!」
 毎年の誕生日恒例の、九龍との約束。アリスの立場が変わろうともそれが変わることはなく、皆が見逃してくれている、アリスの憩いの時間。
 昨年に引き続き、それを楽しみに九龍の訪いを待ってはいたものの、持参品が何かを知っているだけに、アリスは戸惑う。手に余るほど、大きなものではないはずなのに……と。そう思いながら、アリスがドアを開くと。
「…ぅわ!」

 あたたかな香ばしさと、独特の綺麗な焼き色。蜂蜜やバニラエッセンス、バター風味の甘味臭。それらがアリスを包み込む。
 そしてその向こうに、悪戯っぽい九龍の笑顔。

「お待た。今年は焼きたてやで、アリス♪」
 ドアを押さえるアリスの隣をすり抜け室内に入った九龍は、両手に抱えていた大きなトレイを、静かにテーブルの上に置く。アリスの、湿り気の残る髪と鏡皇正装を脱いだラフな服装から、差し入れを持ち込むには、丁度良い頃合いだったかと安堵して。
 トレイの上には、幾重にも積み上げられて蜂蜜とバターが添えられた、見事なホットケーキのタワー。その周囲には、彩り的に置かれた苺やメロン、キーウイなどの果物。
 更には一斤そのままの大きさの、二つのハニートースト。ひとつはバニラアイスにバナナに苺、ひとつはクッキークリームにウエハースにチョコレートソース。それぞれに大量の蜂蜜と、ささやかなミントのトッピング。
 そして、色鮮やかな紅茶色が透けて見える、ガラス製の大きなティーポット。
「これ………全部、九龍ひとりで!?まだあったかいじゃん!」
 静かにドアを閉めたアリスは、驚きの中にも喜びを滲ませながらテーブルに駆け寄って来る。なるほどこれを両手に抱えていたら、ひとりでドアノブを回すのは無理かと思いながら。
「まさか。さすがにこれを一人でこさえて、全部あったかいままココに持ち込むのは無理や」
「え?それって………」
 瞳を瞠るアリスに笑みを見せながら、九龍はテーブルにナイフやフォークをセッティングする。
「話はあとあと!アイスが融ける前に、食べたってぇな。あったかい方が、美味いやろ?」
「ん…それじゃ、遠慮なくいただきまーす!おなかぺこぺこだったんだぁ」
 満面の笑みのアリスが席に着いて、トースト上のアイスを突付き始めたのを見て、九龍は紅茶をティーカップに注ぐ。
「晩餐会言うても、アリスはあんま食べるヒマないもんなぁ」
「だろ。なのにさぁ、ニオイだけは漂ってるじゃん?おあずけされた犬気分で辛かった」
 食べる口と話す口、その両方を器用に動かしているアリスの顔は、美味しいものを頬張る喜びに溢れている。見ているだけでも、至福感を感じる笑顔だ。
「明日は少し遅めで、朝寝坊してもOKやて、ラーが」
「ラーが?さすが、話が分かるね♪」
 笑みを交わし、アリスの手元にティーカップを置くと、九龍はアリスの対面の椅子に、静かに腰を下ろした。

「んじゃ、トーストは風哭達が?」
 一斤まるごとのハニートースト二つに、積み重ねられたホットケーキのタワー。それらをぺろりと平らげたアリスは、満足そうに、食後の紅茶を楽しんでいる。
「そ。ラーに話聞いたから、差し入れ便乗させろ…て。顔出してけって言うたんやけど、さっきまで一緒やったからええて。この上あんま騒がしいのも、アリスが疲れるやろ言うてさ」
「そんなの……」
 気にしなくてもいいのに。
 そうは思いながらも、親友同士のひとときの邪魔は遠慮する……という皆の配慮も見えて、心の中、それぞれに、アリスは礼を呟く。
「アイスの上に、ミントの葉っぱがあったやろ。あれ載せたの、誰やと思う?」
 悪戯っぽい表情で、九龍はアリスに質問を振る。
「へ?誰って?」
 質問の意図が分からず、きょとん…としているアリスに、頬杖をつきながら九龍は微笑む。
「黒耀♪」
「えぇっ!?」
 緑玉色のアリスの瞳が、驚きに見開かれる。
「あ、あと、ティーポットに茶っ葉入れたンも、黒耀やから♪」
「ちょい待ち!黒耀に料理はさせないって、前に……」
 漆黒の城でのお茶会の席で、だろうか。アリスはアークバードから、そう聞いた記憶が残っている。
「東では『皇は厨房に入るべからず』が常識やけど、黒耀はそれが不服なんやと。『スイシル』の時も、アリスへの贈り物に手を添えたいて、ダダこねて大変だったらしいで。で、今回は」
「……その程度でよく、あの黒耀が満足したな」
 やや呆然としたアリスの表情に、九龍は小さく笑う。
「あぁ、文句は言うてたで。けど、黒耀が厨房に来た時、残ってた作業はそんなもんで…それは狼哭と風哭が、上手く調整したんやけど。料理を知らん黒耀に、いきなり何かを任せンのは無謀やもん」
「………それは、否定できない」
 自身が料理下手なこともあって、アリスは九龍が何を言いたいのか、あっさりと看破する。黒耀には不満が残っても、無茶苦茶な状態にされるよりは……と、何かしら過去に経験のある風哭と狼哭が、『最後に飾りのミントを載せる』作業のみを、黒耀に任せるように段取りを組んだのだろう。
「ま、そーゆーことやから。次に顔合わせた時は、料理欲を煽らない程度に、お礼、言うたって」
「分かった」
 母親のような包容力を持ちながら、時に妙に子供っぽい、黒耀の可愛らしさ。風に舞う長く艶やかな黒髪を、優しい漆黒の双眸を思い浮かべながら、アリスは微笑む。
 そのまま、今日の行事の反芻に、厨房での一連のできごと、最近の城下町の流行りものの話など、気取りのない話題を転がしていると、遠く低く、日付変更を告げる鐘の音が響いて来た。
「…と、もうそないな時間か。んじゃ、この辺でお暇するわ」
 立ち上がって、トレイに一式を載せ直した九龍に手を貸しながら、アリスは口を開く。
「ありがとな、九龍。このあと、ウチに帰るのか?」
「ん〜……。コレ洗う手間もあるし、今夜はこっちやな。明日余裕あったら、執務室に顔出すわ」
「了解」
 思案顔の九龍の返事を聞きながら、その退出を助けるために、アリスはドアノブに手をかける。
「サンキュ……っと。そう言や、いっちゃん大事なこと言うとらんかったな」
「へ?なに?」
 九龍は、背を向けかけた身体をアリスの正面に向き直らせると、晴れた日の空の青を思わせる、左の瞳に穏やかさを載せる。
「半年間、同い年やな」
 九龍の指摘に瞬間アリスは息を呑み、嬉しそうな輝きを、その面に宿す。
 そんなアリスに優しい笑みを見せながら、九龍は言葉を紡ぐ。
「ハッピー・バースディ。18歳おめでとう、アリス」

─終幕─