お誘い


何冊かの書物を持って李陵が部屋に戻ると、服を着替えているアリスがいた。
既に聖下仕様の動きが取りにくそうな服は床に脱ぎ散らかされており、脱走仕様の身動きの取り易い簡素な服を身に着けて後はボタンを止めるだけの状態になっていた。
「聖下、何をなさっているのですか?」
声を掛けるとアリスの動きが一瞬止まって、見るからにぎくり、とした表情で李陵の方を振返る。
「さっき風哭が来て、『皆で町に居るから後からおいで。一緒にご飯でも食べよう』て」
言い訳をするからだろうか。なぜかアリスの口調が早くなる。
「で?」
「うん。だから今から行こうと思って。李陵も一緒に行く?」
アリスの焦った口調と、アリスの事を可愛がっているとはいえ真面目な風哭が勉強を放り投げさせてまで遊びに誘うだろうか。そこら辺が腑に落ちない李陵はさらに訊ねる。
「風哭は何て言ったんですか。詳しく教えてください」
「だからおいでって…」
「それならわざわざ後から待ち合わせなんてしないで、その場で一緒に行けばよかったんです」
「……」
「本当は何て言ったんですか」
「その…、勉強が……終わったらって……」
だんだんと声が小さくなっている。
「聖下の机の上にあるのはなんですか?」
「……」
「先ほど私が出した課題です。まだ終わっていないですよね?」
「俺が勉強が終わる頃にはきっと皆漆黒の城に帰ってる!!せっかく皆と会える機会なのに。美味しい食べ物も食べれなくなるよ!!」
皆と会えないよりも、食べ物が食べられ無い方が残念に聞こえてしまうのはなぜだろう。気のせいと思いたいけれど気のせいではないだろう。
「今日の分も明日必ずちゃんと勉強する。だから、お願い。行っていい?」
一生懸命お願いするアリスを見ると、どうも強く言えない。
この一生懸命さが勉強にも向かってくれればいいのに…。
結局は李陵もアリスに甘い内の一人だった。
「しょうがないですね、分かりました」
ぱあああ、と一瞬で喜びを顔にあらわす。
「ありがとう!!」
「約束通り、今日の分明日は厳しくしますよ」
「う、うん」
そして一瞬にして顔が引きつっている。
「さ、早く行ってらっしゃい。くれぐれも見つからないようにしてくださいね。聖下が見つかって小言を言われるのは私ですから」
「大丈夫だよ。一番小言が多いのは李陵だから」
にっこり笑ってそう仰る。
「どうやら聖下はわたしと勉強したいみたいですね」
「勉強はしたくないけど、一緒にお出かけはしたいなぁ。李陵も一緒に行こう」
「でも私が行ったら、お邪魔では…」
「問題ないって。皆一緒の方が楽しいよ。それに人数が多い方が色んなものが注文出来て食べれるから」
それは私がいた方がよりも、色んな料理が食べれる方が嬉しいのでは…。
いやいや、悪い方に考えるのは良くない。
聖下は思ったことを何も考えずに言っているだけだから。
「分かりました。私も行くのでしたら聖下の脱走をごまかす人が居なくなるので、外出することを連絡しておきます」
前に比べて今は教団もあまり厳しくないので、問題なく許可は取れるだろう。
しかし教団のトップであるアリスが当日突然思いつきで外出するのも、好ましくない事も確かだ。
これで突然の外出はしばらくお預けになる。
「私が戻ってくるまでご用意しておいてくださいね」
既に用意万端のアリスに声を掛けながら李陵は部屋を出て行った。


待ち合わせ場所には、黒耀に風哭、狼哭に影哭に加え九龍となぜかファウストもいた。
九龍は誘われたのだろうが、ファウストは勝手に加わったと思われる。
アリスの為に、そのまま直ぐレストランに移動する事になった。
料理を食べ終えて、お菓子やお茶でのんびりとしていると不意にアリスが言った。
「黒耀達って目立つから、どこに行っても注目の的だし。そういえば李陵も男の人にモテルよね」
思わず九龍は飲んでいた、酒を吹き出す。
きっと、見張りのを魔狩人をたらし込んだ光景が忘れられないのだろう。
「わたしの事をそんな風に思ってらしたんですね……」
その声の低さと小声なのに力強さのある声を聞くと、九龍は怖くて李陵の顔を見れない。
やはり聖下の前でするべきでは無かったですね、と呟いている李陵と不自然に顔をそらしている九龍。
そんな二人の様子を気にする風もなく、アリスは続ける。
「ファウストは動物には好かれている…ような気がしないでもない、かな?」
ファウストに至っては人間すらなく、しかも疑問形で終わっている。
そう思うと自分はまだまっしなのかもしれない。
「いえいえ、ちゃんと好かれていますとも。ねえ」
複雑な表情を浮かべる兄弟を余所に、ファウストは気にする事もなく意味深な視線を黒耀に投げかけている。
「まあ、好かれてはおらぬだろうな」
黒耀はそっけなく答える。
「そういう聖下様は食べ物屋のおばさま方に人気がありますね」
「そう?」
「そうですよ。食べた物を「美味しい!!」を連呼しながら美味しそうに食べますからね。色々とサービスしてもらっているでしょう」
「俺、あの人好きだよ。美味しいお菓子をおまけして沢山食べさせてくれるから」
そのセリフに激しく反応した人が二人。
黒耀と風哭だ。
それ以外の者達(ファウストは除く)は、言い切ったよ…と溜息をついていた。
それからの黒耀と風哭のコンビネーションは流石だ。
メニューを手に取った黒耀が
「これは美味しそうだ」
と言うとすぐさま風哭が注文をする。
初めは二人を見て苦笑いをしていた他のメンバーも、二品三品と進むにつれて顔が引きつってくる。
どんどんどんどん注文されていく料理に、ほっとけば更に注文されることは必至。誰かが止めなければならないのだが、流れるようなスピードで注文する二人に口を挟めるタイミングが見当たらない。
だがまごまごしているとその分だけ注文が増えてしまうので、無理やりにでも止めなければならない。
それを誰がするか。
李陵と九龍的にはバンパイア側に止めてもらいたい。
狼哭は呆れているが特に口を挟む様子はない。
では影哭はどうか。困った表情を浮かべているが止める気配はない。
しょうがなく九龍が口を開く。
「なあ、アリス。黒耀と風哭が沢山注文してっけど、お前そんなに食べれるんか」
その言葉を聞いた黒耀と風哭の注文が止まる。
「え、なんで。それって黒耀と風哭が食べる分だよね」
不思議そうにアリスが訊ねる。
そう見てもアリスの為の注文なのだが本人は気が付いていなかった。
「違うって。全部アリスの分の注文や。そない食べれるか?」
「流石にそれ以上だと食べれないかな」
それまでの分は食べれるんかい!!
突っ込みたい気持ちを抑え、九龍はちらりと黒耀と風哭の方を見る。
黒耀がメニューを閉じて、風哭が店員に「以上でお願いします」と伝えた。
アリスの一言で、二人はやっと注文するのを止めたのだった。

テーブルの上には色んな種類のお菓子が溢れていた。
皆早々に食べる事を放棄する中、一人黙々とアリスは食べ続けている。
嬉しそうにそれを見る黒耀。
その二人を見て嬉しそうな風哭。
手持無沙汰で暇なのか、眠たそうな狼哭。
仲間を見ていつもの様に微笑みを浮かべる影哭。
黒耀を見つめて満足げなファウスト。
テーブルの上に突っ伏したいが料理が邪魔して突っ伏すスペースらないので皿を片づけている九龍。
アリスの食べっぷりを見て気分が悪くなっている李陵。
アリスが食べ終わるのを待っているメンバーだった。

「ごちそうさまー!!お腹一杯。美味しかった。」
終わりが来ないだろうと思われた食事もアリスが残さず一人で食べたおかげで終わりを告げた。
流石のアリスも苦しそうだ。
いつもの軽快な足取りも重い。
アリスは黒耀と風哭に連れられるように先に店を出る。
そして会計は、というと影哭の役目だった。


「昨日は楽しかったね」
李陵との約束である勉強に励みながら、アリスはにこにこして言った。
「ええ、聖下がもう少し自分の胃袋の限界を知っていただければもっと楽しかったです」
どれだけの量の食べ物を食べてもけろっとしているアリスに、限界があることを教えた黒耀と風哭のコンビはある意味すごい。
「あんなにお腹一杯まで食べたのって初めて。本とに動くのがしんどくなるんだ。皆大げさに言ってるんだと思ってた」
アリスに付き合って、自分の限界を超える量を食べさせられた事のある李陵も同じ目にあった。がその時のアリスには信じてもらえなかった。李陵にとっては大量であってもアリスにとってはそれぐらいの量だったからだ。
「次から気をつけるよ。また皆と一緒に集まって遊んで食事したいな。今度はこの城に招待したいな」
穏やかな声でアリスが訊ねる。
ヴァンパイアが敵ではない、と言ってはいるもののヴァンパイアを畏怖する人間も数多い。
町の人間すら怖がっているのだから、一番に敵対していた教団に仕えている者達にとってまだまだ恐怖の対象である。
普通に考えるとアリスの言った事は今の段階では不可能に近い。
アリスもそれが分かっているのだろう。
しかし。
昨日のヴァンパイアを見ていると問題はないのかもしれない、と李陵は思う。
アリスの為に食事を注文しまくっている姉弟をみると、微笑ましく思う…を通り越して呆れてしまったが。
アリスの事が好きなのだと分かる。
この城に働いている者も皆そうだ。
アリスが大切。
だから大丈夫じゃないだろうか。
あの光景を見れば、バンパイアは怖い者ではないを分かってもらえるのではないか。
「そうですね。直ぐには無理かもしれませんが、そう遠くない内に皆さんを招待しましょうか」
李陵が同意してくれるとは思わなかったのだろう。
驚いた表情から徐々に笑みがこぼれ、満面の笑みに変わる。
「きっと、楽しいだろな」
「そうですね」
「でもその事は今度にして、今は勉強に戻りましょう。昨日の分も沢山残っているんですから頑張ってくださいね」
勉強もこれからの様々な事も頑張ってください、聖下―――――。